TAKAGIの非正規ブログ

健常社会に疲れて休養中

社会人という言葉の意味

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 4月から新入社員になる人間たちがキラキラしている。その理由の一つに、『社会人』になったことが挙げられるだろう。私はこの言葉が嫌いなので、普段から「会社員」「労働者」という言い方をしている。

 

 ツイッターでも「新社会人」と書かず、わざわざ「新入社員」と書き換える程度にはこだわりがある。『社会人』は日本人に大きな影響を与えるパワーワードである。

 社会人とはどういう人物を指すのだろうか。

 社会人(しゃかいじん)は、社会に参加し、その中で自身の役割を担い生きる人のことである。一般的には学生は除外される。 ただし一部の学生も社会人と呼ばれる場合がある。

 日本語以外の諸外国語では日本で言うところの『社会人』をさす言葉はほとんど見られない。たとえば英語ではworker(労働者)やadult(成人)、citizen(市民)という単語はあるが、日本語の『社会人』にあたる単語・表現はなく、最も近い言語では『participant in civil society』。

(Wikipedia より)

 日本以外では『社会人』という言葉は使われない。「社会に参加し、その中で自身の役割を…」と言われても、何のことかいまいち分からない。

 別のサイトではこのように定義されている。

 学生・生徒などに対し、社会に出て働いている人の事。労働を通じて社会に参加している人。
 企業から見ると使用人のことであるが、使用人と言うのは語感が悪いので、しばしば社会人と言う言葉が用いられる。
 さまざまな社会人の定義はそれぞれの社会観を反映する。

(はてなキーワード より)

 「学生・生徒などではない人」が『社会人』。しかし続きを見ると、社会に出て働いている人の事だとハッキリ書かれている。つまり無職は社会人ではない、と。

 外国からは「消費活動をしてる学生や無職だって社会人じゃないか」という意見が出ているが、この理屈が日本には通用しないようである。

 この『社会人』という言葉、良い面と悪い面と、大きな特徴がある。

社会に出て働く自分を認められる

 自尊感情が圧倒的に低いと言われる日本人。社会に出て働いている自己有用感が、労働者の自尊感情を高める。まるで魔法の言葉である。しかし、労働者の自尊感情が高まる一方、『社会人』と認められない者がいる。それが無職。

 人間の多くは下を見て優越感を得る。自分は無職より偉いんだという気持ちが労働者の活力になる。「お前は社会人じゃない。社会に貢献していない」と言われる無職のほうはたまったものではないが、日本では全て自己責任で片づけられてしまう。

日本人を洗脳し、一流の社畜にする

「社会人らしく」
「社会人なら当たり前」
「社会人のマナー」
「社会人の自覚」
「社会人としてふさわしい」

 などの表現を見るたびに、気持ち悪いモノを感じてしまう。これは一体誰が決めたルールだろうか。社会人はこうあるべきだという押し付け、強迫的な観念、あまりにも息苦しい。

 教育機関の「学校ではこうしなさい!」という教育が、大人になっても続いている。「社会人らしさ」をインプットされた労働者は一流の労働者になる。

社会人なら苦しくて当たり前。
社会人ならサービス残業も当たり前。
社会人なら・・・。

『社会人』は、社会のルールに完全に従う人間。そして社畜が次から次へと生まれる。労働者が労働者を洗脳してくれるのだから、日本にとって、これほど都合の良い言葉はない。

 以上、相当な主観が入っているが、『社会人』自体が曖昧な言葉なので、正解は分からない。はてなキーワードの最後にはこう書いている。

さまざまな社会人の定義はそれぞれの社会観を反映する。

 『社会人』という言葉の定義を決めるのは、辞書でもなく、ほかの誰でもなく、自分自身だ。その言葉の定義を考えた時、社会に対する自分の見方が浮かび上がってくるのだろう。