TAKAGIの非正規ブログ

健常社会に疲れて休養中

「足るを知る」は持ってる者の余裕である

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こんばんは、持たざる者です。

先日、ドラマで「足るを知る」という言葉を聞いたので、今日はそれについて書きます。『まじかる☆タルるートくん』で見て以来、久し振りに聞きました。

足るを知る者は富む

『満足する者は、貧しくとも精神的に豊かで幸福である』なぞいう意味らしいです。しかし、貧乏生活を好む人なんているのでしょうか。やはり「貧しい現実を受け入れれば幸せなのか?」という疑問があります。

街頭アンケートで「貧しい生活は幸せだと思いますか?」と聞いてみたら間違いなく大多数「NO」のはず。足るを知る者は富むなんて言葉は、何かを持ってる者じゃないと出てこない言葉です。

誰もが欲しがる圧倒的な「満足感」

あなたが満足するときはどんなときですか。

美味しいものを食べたとき?
大金を稼いだ時?
好きなことができたとき?

僕が思うに、やはり他人に認められたときが一番でしょう。常に他人の評価を気にするニンゲンは誰かに褒められたとき、圧倒的な満足感を得ます。

お金をたくさん稼ぐ人は人に自慢します。稼ぐことよりも大事なことです。人に「すごーい」と言われるほうが嬉しいから自慢するのです。

お金があっても幸せとは限らない

IT企業に勤めていた時、リーマン・ショック前ということもあって、残業規制が解禁され、残業代も全部出ていました。景気が良かったですね。月収が40万を超えた月もありましたが、心の中は死にたい気持ちで満たされていました。

終電帰りや会社に泊まったりで疲労はMAX。ストレスは限界。終わりのないデスマーチ。職場の雰囲気は最悪。外国人は失踪する。一言で言うと地獄でした。

週0日か1日の休日には趣味に走る余裕も無く、衝動的にパソコンを買ったり、お姉さんのいる店に通ったり、投げやりになって父親の事業に出資したり、稼いだ金は一瞬で消えました。

「死にそうになって稼いだ金に一体何の価値がある?」と荒れました。今となっては少しは貯金していればと後悔してますが、この体験から僕は「金があっても仕事が苦痛だと幸せにはなれない」と思うようになりました。

人生は変えられないが、金は意外と何とかなる

昔、借金が100万円近くあったのですが、契約社員の仕事をしているうちに返済が終わっていました。借金を返すために節約したわけではありません。大した贅沢をせず生きていたらいつの間にか返済が終わっていました。

借金を返済してスッキリしたものの、友だちができたり恋人ができたりするイベントはなく、今まで通り非正規な人生から抜けられませんでした。

根暗でも非正規でもコミュ障でも、お金は意外と何とかなるんです。健常者だってローン組んで多額の借金を抱えてます。

貧乏な生活をしていると言う人は、どこかで妙な出費があるはずです。酒・タバコ・ギャンブルに大金を突っ込んでいるとか、ストレス解消のために散財しているとか、見栄を張って周りに奢りまくっているとか・・・。

お金があっても性根が変わらない限り心が満ち足りることはありません。「足るを知る」のヒントはやはり心にあると言ってよいでしょう。

ミニマリストという考え方

一時期、ミニマリストという言葉が流行りました。持ち物を最小限にして贅沢をしない暮らしをする人・・・らしいですが、今ではすっかり廃れているあたり、流行りモノの一種だったのでしょう。

本当に追い込まれている状態ではミニマリストにはなれません。人生に余裕があってこそ、ミニマリストになれるのです。初めから何も無い人はミニマリストではなく、ただ何も持ってないだけの人です。

ミニマリストが絶滅し始めているのは景気の悪化が原因です。2014年を境に個人消費は落ち込んでいます。

「足るを知る」のレベルにさえ届かない生活水準の国民が大勢いるのです。 庶民の暮らしはどんどん貧しくなっています。

人に「足るを知れ」と言われたらどんな気持ちになるのか

「足るを知れ」とは、つまり「現状に満足して我慢しろ」ということですが、これを他人に向かって言うのは良いのでしょうか。貧しい生活を強いられている国民に「足るを知って質素に生きろ」というのは勝者の驕りに見えます。

持ってない物を最初から諦めろと言うのは、生まれつき手足の無い人に「足るを知って手足なしで生きろ」と言うようなものです。そんな言い方をされたら、きっとその人は激怒するでしょう。 

「足るを知る」ラインは他人に決められるものではなく、口出しされる筋合いもないです。ラインを決めるのは自分だけです。

「足るを知る」は過小評価と違うのか

僕はコミュニケーション能力に難があり、社会でやっていくには我慢が足りない人間です。そんな人間が足るを知って「働かない」と言い出したら社会から袋叩きに遭うでしょう。

言い方一つで「足るを知る」は怠けにもサボりにも受け取られます。何もかも足らない人間が「足るを知るぞ」と言ったところで甘えるな、自己責任だ、と斬り捨てられます。

このあたりの不明確さが僕には良くわからないところです。結局、足るを知るを言い訳にしてないで努力をしろという結論になってしまいます。

本当に欲しい「手に入らない物」

安定した生活、美しい恋人、カッコイイ車、大きな豪邸・・・欲しいものは数え上げればキリがないですが、本当に欲しいのは努力では手に入らない物です。

努力で手に入らないものと言えば、例えば「身長」だったり、「ルックス」だったり、「二重まぶた」だったり、だいたいの人がコンプレックスとして抱えているものです。

僕が一番欲しいものは昔からただ一つ、変わりません。それは「健常な眼」です。生まれた時から障害で目が不自由な僕にとって、眼鏡もコンタクトもなく過ごせる生活は永遠のあこがれです。

コンプレックスがある限り、人間の欲望が尽きることは決してないと思います。

欲望に満ちるのは人間だから当然

「足るを知る」の言葉にとらわれて自分のやりたいことを我慢するのは個人的には賛成しかねます。人間が後悔するのはいつも「~をしておけばよかった」と思う時だからです。

無限にある欲望のために何かをやり続けても後悔しないはず。あの時アレをやっていればよかった・・・と悔いても時間は戻りません。嫌なことを我慢しつつ上手にやっていく人間なら良かったですが、みんながそんなに器用なら悩みは生まれません。

「足るを知る」の完全否定は危険

僕はここまでで「足るを知る」を否定してきましたが、足るを知らずに無謀に突っ走ると破滅する危険性も知っています。僕の父親は事業に失敗し、莫大な借金を抱えて破産、家からも姿を消してしまいました。

親戚中を掻き回して最後には蒸発した父親ですが、僕は父親の気持ちが理解るような気がします。何十年もサラリーマンで働いて、家族のために金を払い終わった頃には体はボロボロ。そんな人生どうなんでしょうか。どうで死ぬ身の一踊り、好きなことをやりたいと父は思っていたのでしょう。

何もないから「足るを知る」気になれない

まだ30年しか生きていないのに、全てを悟ったように足るを知ることは僕にはできません。欲しいものは山ほどあるし、やりたいこともまだまだあるし、自分に無い物を追い続けます。

諦めが悪い男だから、持ってる者になったとき初めて「足るを知る」が理解できるかもしれません。やるだけやって何もかもダメになったら、その時は青い鳥を探して隠居します。