非正規ブログ ~幸せになりたかった~

非正規の人間が綴る日常

愛と孤独について考えてみた

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6月30日放送の「SONGS」スペシャルに宇多田ヒカルさんが出演していました。

ピースの又吉直樹氏との対談で『花束を君に』を取り上げていて、宇多田さんが曲の完成を感じたという歌詞がこちらです。

毎日の 人知れぬ苦労や淋しみも無く ただ
楽しいこと ばかりだったら
愛なんて 知らずに済んだのにな

淋しみが無かったら愛を知らずに済んだ

この部分にハッとさせられます。

愛を知らない悲しいおじさん

僕は自分のことを愛を知らない悲しいおじさんだと思っていますが、そんなおじさんが疎ましく思うのが、他人の家族の話、結婚の話、出産の話です。

それぞれ、家族愛、夫婦愛、親子愛と言い換えることができます。

愛を知らない異常者はこの手の話にまったく興味が無いので、健常者との温度差にいつも苦しみます。

「なんでこんなしょうもない話を楽しそうにしてくるのか?さっさと終われ」と。

こういう愛の話について興味が無い人は、人付き合い自体を煩わしいと思っていませんか。

独りぼっちは最も「孤独」と遠い存在である

集団行動や団体行動が嫌いな人は群れから外れた単独行動を好みます。

それは「孤独」と言えるでしょうか。

そういう人はひとりでいるのが好きなので、寂しいとか、孤独だとかって思わないんですよね。

独りぼっちなのに孤独じゃないなんて、不思議で面白いですね。

愛を知らないと異常者扱いされる

社会では、結婚して子供を産んで、家族を持つことが一応健常とされてます。

愛を知らない人の問題、LGBT(レズ・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の問題と似てます。

「同性愛者は気持ち悪い」と差別する風潮が未だにありますが、あの人達は好きで同性愛者をやっていて、ただ異性に興味がないってだけの話。

それなら独りぼっちで愛に興味が無い人間がいてもいいじゃないですか。

グループに属さない人間、グループに興味がない人間

宇多田ヒカルさんは家庭の都合で引っ越しを繰り返し、国を転々とし、学校を転々とし、「自分はいつも外国人だった」と話していました。

だから特定のグループに所属したこともないし、今でも特定のグループに入りたいと思わないと。

そんな宇多田さんは二度結婚をして、二度離婚しています。

本人が何でもできてしまう天才というのも理由でしょうけど、合わないんでしょうね、誰かとずっと一緒にいるのが。

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本当は健常者になりたかっ太

ここまでいろいろ書き連ねてきましたが、僕も子供のころは誰かと結婚して、理想的な家庭を築くのだろうと思ってました。

それが当たり前だという教育を受けてきたからです。

しかし、学校で集団生活を送るうちに、友達も恋人もできない自分に何か違和感を感じるようになっていました。

なぜ、自分は周りと上手くいかないだろう。

なぜ、同級生と一緒にいるとストレスがたまるのだろう。

なぜ、異性の性格ではなく肉体にしか目が行かないのだろう。

次第に集団生活がしんどくなってきて、こんな行動に出ます。

休み時間のチャイムが鳴ると机に突っ伏して寝た振りをしたり、電車で同級生と乗り合わせそうになったらトイレの中へ逃げたりしていました。

健常者という言葉を知ったのは最近ですが、おそらく僕もそういう健常人生を送りたかったはずなんです。

俺は孤立している。あえてね。

20代のときは、結婚しなきゃ、親に孫の顔を見せなきゃと焦る気持ちがありましたが、もうどうでもよくなって、自分は異端者だという現実を受け入れて生きています。

愛も知らなきゃ、孤独も知らぬ人生。

人生において大切なものを取り逃した感がありますが、僕の能力ではこれが限界でした。

自分は愛を知りたかった人間だったのか、それとも本当に愛を感じられない異常者だったのか・・・。

わからない。もう、わからないですよ。

ただひとつ言えるのは、もう自分の中では愛も孤独もすっかり吹き飛んでいるということです。

さようなら、遠い昔に思い描いてた未来たち。