非正規ブログ ~幸せになりたかった~

幸せになりたかった30代独身異常男性の日記

上を向いて生きていこう

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 先日、このようなツイートを投稿したところ、ツイッターのフォロワーさん(以下aさん)がコラムを書いてくださった。内容は障害について。そのコラムに感銘を受け、この記事を書くことにした。

 aさんには以前より親しくしていただいている。数年前、aさんが大阪を訪れた際に「よければ食事でも」とお誘いを受けたこともある。(精神が優れなかったか、会う勇気がなかったか、で断ってしまった)

 自分はコミュニケーション能力が他者より劣っていて、友達も恋人もいない。自己開示するのが何より苦手で、自分の内面を知られることを極度に恐れている。結婚できる見込みは無い。健常者と同じように働くとプレッシャーに耐えられなくなって退職してしまう。40歳手前にしてこんなだから、今さら健常者になることはできない。かといって障害者の認定を受けているわけではない。

 紛れもなく自分は、aさんが言うところの「健常者でもなければ障害者でもない」人間になっていた。

 もし身体障害者だったなら、堂々と申請をして障害者になっていただろう。体が自由に動かなかったり、臓器機能不全を起こしていたりすると、とても一人では生きていけない。

 だけど自分はそうじゃない。体は普通に動いていて、誰かの支援が必要なほど困ってもいない。ただコミュニケーションが苦手で社会に馴染めない。それだけの人間だった。

 そんな人間が「身体障害者の給料は二十三万円」に涙を流した理由は「障害者はずるい」とか「障害者になりたかった」ではなく、"自分も誰かに救われたい"思いがあったからだった。こんなに苦しんでいるのに支援を受けられないーーー。

 周りと上手くやっていけず、健常者なら耐えられるであろうストレスに潰されてしまう自分は、控えめに言っても健常者だと名乗ることができない。

 だから給料の高い仕事に就くこともできなかった。続かなかった。低賃金で働き、贅沢もできず、毎日ギリギリで生きている。こんな生活があと30年、40年も続くと思ったら目の前が真っ暗になる。

 妹と弟は普通に働き、結婚して家族を築いているのに、なぜ自分だけがこうなってしまったのだろうか。理由はわからない。初めての子供で親が育児を誤ったのか、生まれつきの異常者だったのか、家庭以外の環境が悪すぎたのか、わからない。

 aさんのコラムの話にもどる。aさんは国立大学を卒業し、東証一部上場企業に入社した、高い能力の持ち主だ。直接にお会いしたことはないが、インターネットラジオでaさんが話しているのは聞いたことがある。軽妙で頭の回転の速さを思わせる語り口だった。

 そのaさんも精神的な病で苦しみ、苦難の多い人生を送っておられる。いかに精神障害が見えにくいものなのか、能力や努力を阻碍してしまうものなのか、よくわかる。自分も自分で自分の障害が見えていない。本当は障害者でも何でもない低スペック人間なだけかもしれない。

 今の自分は「健常者じゃないのに障害者にはなりたくない」という、極めて不器用な生き方をしていると思う。そして、障害者になると何が変わるのかまったくイメージできていない。むしろ今よりも生きづらくなるのでは?…とさえ考えている。

 自分が仕事でお邪魔している公務員組織には、身体/精神/知的障害者が割と多く雇用されている。知的障害者は何を考えているかわからない…が、障害者雇用は傍目から見ても明らかに健常者と馴染めていない。ことに精神障害者は会話している姿も見たことがない。わかりやすく言うと、表情がない。毎日定時に来て、作業を与えられて、定時で帰っている。それの繰り返しである。

 そんな彼ら(知的除く)が自分よりも高い給料を貰っているのだろうと考えると、素直に悲しくなってくる。けど、やっぱり障害者にはなりたくない。障害は生きていくうえで相当なハンデだし、障害者の人たちも見えにくい苦しみを抱えて生きているに違いない。

 人生は坂道のようで、登っていくのは大変だけど降りることは容易い。何もしなくても、ただ転がっていけばいいのだから。そして、一度落ちてしまったら元の場所へ帰るのが本当に難しい。自分も、過去に働いていた職場にはもう戻れない。あの頃以上に頑張れる気がしないので。。。

 自分も、aさんも、ツイッターのみんなも、どこかで「いつかなんとかなる」と期待して生きている。みんなで幸せになりたかった。みんなで幸せになれるといいな。

 上を向いて生きていこう。